【おもしろデザイン書】デザイナー神セブン 菊池敦己さんの作品集を読んでルールづくりの重要さを実感したな〜ってお話

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佐藤可士和(さん)、佐野研二郎(さん)、野田凪(さん)、そして菊池敦己(さん)。(会話の中では「さん」づけして呼んだりしないので、「かっこ」つけてみた)

彼らは私だけじゃなくて、86世代前後のデザイナーの中にいつも存在しているすっごい存在だと思う。予備校時代に「野田凪さんみたいなアートディレクターになりたい」と面接の練習したことを今でも思い出す。

不思議なことに今はエンジニアさんと一緒になって新しいサービスを実装したり、マーケティングさんと一緒に売り込み資料を作ったり、社長と一緒に新しいプロダクトを考えたり。

美しいビジュアルを作ることより、新しい価値を生み出すためにデザイン以外のアプローチも含めて向かうことに興味があるです。

 

でもやっぱり、美しいことはすごく大切だし、可愛いものも大好き!だからなんとなく手放せなかった、大学時代に買いあさった彼らの作品集を改めて読むと新しい発見がいっぱいあったよ!

当時は「かっこいいもの」「美しいもの」「おもしろいもの」という見た目にしか興味がなかった私だったので、当然この菊池さんの本でも作品の写真をただただ眺めていただけ(ぼんくら)だったけど、改めてページを開くと、作品以上に彼らが何を考えて絵面を構成しているか、設計や仕組みを考えているか、わかって非常に面白かったです。今の自分がひっかかったのは、ビジュアルの面白さ以上に設計とかルールづくりに関してでした。

アートをわかりやすくすることがデザインではない。

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ちょうどアートプロデュースやアートマネジメントといった言葉が一般化してきた頃で、近頃のデザインの近況とも似ていますが、アートをわかりやすくして一般的にしようという動きが多かった。でもそれはアート本来の価値ではないはず。わからないものを見る面白さとか、つまらないものを見る面白さとか。「何これ?」を突き詰めて考えること、そして、それを議論できる場所を提供することが、自分の仕事だと思っていました。

(No Meaning, New Old Works マテリアル)

 

自分の意思で動かせないものを、殺すことなくおさめる「型」をつくる。

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組織を作ることは、自分はそれをデザインとは言いませんでしたが、いかに構造的に素材を組み立てていくかということですから。素材それぞれが個別の生きたクリエイションですから不確定な要素なわけです。全部が全部、自分の意思で動かせないものを許容しながら仕組みを作っていくのは、新しいものの作り方なんじゃないかなと思って。

(ミナ ペルホネン コースターデザイン)

 

設計されたデザイン思考が活きるのはデザインの土俵だけじゃない。

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グラフィックデザインの仕事を続けてきて、そこで体得した自分なりのデザインの考え方があって、それはグラフィックでしか通用しないものだろうか、それが本当に強いものなら、昇華させれば汎用性のあるデザインの方法になるはずで、他のジャンルでも通用するはずだという仮説を持っていたんです。

(自社運営カフェ「インコ」)

 

ルールを決めると、破綻が出てくる。破綻を無理におさめず、どう定義するか。

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僕の場合、まず、文字を作る仕組みを作ります。たとえば、半円でやってみようとか、直線のみで作ろうとか。単純なルールを設定して、それに従って作っていきます。そうすると文字としては破綻する部分が出てくる。でも、その破綻が結構好きなんです。そこにひとつひとつの文字に例外処理をし始めるとキリがなくなってしまい、逆に全体は美しくなくなっていくんですよね。

(理想の詩 表紙デザイン)

 

自分が設計しないものに対してどう関わるか決めないと、設計ではない。

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書体とか写真は、他者から提供されることが多い素材なので、それとどう関わっていくかをきちんと考えないといけない。他者が担当する部分だからといっても、それぞれには理由があるはずですし、それがわからないと自分勝手に使っているだけになってしまう。

(雑誌「旬」のアートディレクション)

 

 要素を分けて分類する。

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自分がいつも考えているのは、イメージ層、言語層、物質層という3つのレイヤーです。それをたとえば、今回は言語層とイメージ層を同一化させてしまおうとか、分けるほうが面白いなあとか。物質層というのは主に印刷表現のことです。

(サリースコット DMデザイン)

 

「収まる」ことがいいデザインとは限らないわけ。

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逆に言えば、僕は収まれるものは作れる自信がある。収まっちゃうことに恐怖感があるんでしょうね。収まってしまうと面白くなくなっちゃうんです。ただ、そこに枠組みがないと「収まっていない状況」を規定できない「混沌」となる。青森県立美術館の書体はむちゃくちゃ強引なんですけど、あの空間では同一ルールにおいて運用されるので、面として成立するわけです。

青森県立美術館 VI設計)

 

ビジュアルの面白さも、根底にはルールがあるんだなあ!と。

「シンプルの重要さ」についても記事を書いたように、たくさんの情報を整理するためには規則を決めることが重要だなあ〜と実感しているからか、「型」「フレーム」「枠組み」「設計」「ルール」あたりの単語に過敏な私。

なんで巻末のインタビューを読まなかったのか当時の自分!!というくらい、そういった気になるポイントがたくさん語られた作品集でした…。ほんとーに私は、へらへらデザイナーしてきたなあ…(笑) 

基準を決めて作り、運用し、判断することの大切さを再確認にーん。

基準を決めないと、何がレギュラーで、何がイレギュラーかわからない。わからないと、自分も、周りも良し悪しが判断できない。良し悪しが判断できないと、何度も何度も見た目の好き嫌いで時間やお金や労力をかけてしまうことになる。混乱を生み出してしまう。だから基準は大事!

 

ぼんやりと、最近のこんな考えがちょっとかっちり固まるような、そんな感覚になりました。同世代のデザイナーさんに、ぜひともオススメします❤️

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