manaty
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子供の頃から絵ばっかり描いて遊んでいる子だった
わたしは飛騨高山という岐阜の超山奥出身で、アートが身近な環境いうわけではありませんでした。
両親が共働きだったので、子供の頃は母がやっている美容院の裏で、ひたすら絵を描いて遊ぶ日々。
「わくわくさん」を見ながら工作をしてみたり、ダンボールをくり抜いて自分に着せてみたり。
ひとり遊びの手段として、いつも何かを作っている子供でした。
新聞記者になりたいと言っていた中学生
中学生まではしっかり者キャラでした。(と思う。)
「ちゃんとしたことを言ったり実行しないとダメなやつだ」という長女的な発想で、自分の行動をいちいち振り返って反省する、まじめな子供だった。
中学校3年、はっきりとやりたいことが何かわからなかったこともあり、とりあえず進学校を受験することにしました。
面接では「新聞記者になりたい」と言ったけど、今思うと、無理だわ!とはっきり言ってあげたいと思う。
本心では、CUTIEやZIPPERというファッション誌を夢中で買っており、雑誌の編集者になりたかったのですが、面接では新聞記者の方がまじめっぽく聞こえるからウケがいいだろうと狙っていました。
雑誌や漫画が大好きで、「るろうに剣心」や「漂流教室」「天使なんかじゃない」「ちびまる子ちゃん」は全巻大事に購入して本棚に並べていました。
お小遣いはほぼ雑誌に消えていました。
進学校で、理数科目につまづき、やさぐれる
そうして、市内の進学校を受験し、無事合格。
しかし、入学してすぐに勉強(特に理数系)についていけなくなりました。
私の場合、極端で、国語や英語は勉強しなくても点数がとれるのに、理科や数学がちんぷんかんぷんな文系脳。
わからないことがわからないから、質問もできないし、追いつけない。
テストは追試が当たり前。人生で初めて勉強が嫌で泣きました。
高校生の勉強で泣くなんて、かわいいなと今なら思うけど、それは16才の自分にとって人生で初めての挫折でした。
そこで私は勉強はもちろん学校が嫌いになってしまいました。
そこから私は中学までの明るい(と思う)性格から180度変わって、仲良しと部活の仲間以外とはほぼしゃべらない、暗黒の日々を3年間送りました。
今でこそ笑えるけど、当時は意外と深刻に捉えていて、親に病院に連れてっていってもらったりしてました。(∩`ω´)⊃))
東京の大学は行きたいけど、勉強はしたくない。美大に行けば叶えられる!
高校2年生になると、進路相談やオープンキャンパスといったイベントも増えていきます。
相変わらず私はおバカな学力で、高校も楽しめずに過ごしていました。
でも東京には行きたい。自分が行ける大学や専門学校を色々と探している中で、「美術大学」という大学があることを初めて知ります。
安易な私は、「子供の頃から絵を描いてるし、国語と英語は得意。だったらもう合格だな…」と気が楽になり、この時点で苦手科目に対する努力を一切辞めました。
高校2年の夏休み、ダラダと怠けていたところ、担任の先生と進路相談する機会があり、そこで「美術大学の入試にはデッサンがあるから今からじゃ遅いかもねえ。」という恐ろしいアドバイス?をもらうことになります。
ここで初めて、美大にちゃんとした絵の試験があることを知ります。
よくわからないけど、なんか手遅れになる!!と焦りを感じ、母親を説得して美術予備校の夏期講習に通うことに決めました。
高校2年生で、初めて美術予備校の夏期講習に参加した!
無事母親の説得も終わり、夏休みに名古屋の河合塾美術予備校というところに通うことなりました。
地元から通える予備校は県内になく、2週間名古屋のホテルに長期滞在し、夏期講習を受講することに。
それまで私が大学に行くこと自体無いと思っていた親からしたら、ありえない出費だったと思うので、本当に感謝しています。
美大受験は、本当にお金がかかります。
私はというと、初めて実家を離れて2週間のホテル暮らし。
自分にとって大都会の名古屋。
初めての、予備校でとにかくワクワクしっぱなしでした。
夏期講習初日、ドキドキしながら教室に入ると、そこには今まで見たことないオシャレな男女がわんさかいました。
地方組で、友達すらひとりもいない私はただただ怖かったのを覚えています。笑
まず教室の中で帽子をかぶってる人がいるということにカルチャーショックを隠せませんでした。
帽子が日よけじゃなくておしゃれアイテムだと初めて知った17才の青春サマーだったのです。
肝心なデッサンはというと、今まで一度も描いたことがなかったので、当たり前にど下手くそでした。
でも今までと違う世界や人間の中に入ったことに、ワクワクして興奮しとても楽しかったのを覚えています。
一見チャラチャラしてみえるクラスメイトは、皆とても真剣に絵に向き合っていました。
勉強も遊びも二の次で、とにかく絵が上手く描けるようになることに一生懸命な姿勢を見てかっこいいなあ。すごいなあ。と毎日感動していました。
こうして、初めてのホテル暮らしや、学校以外の都会の同世代の子と仲良くなることが楽しくて、どんどん美術の世界にはまっていきました。
夏期講習が終わり、絵は一向にうまくなりませんでしたが、ますます地元での日常を退屈に感じてしまうようになりました。
それからは、春休みや冬休みの短期講習を楽しみに、大嫌いな高校に頑張って通い、地元の絵画教室にも通い始め、受験用の絵を描くようになっていきました。
そして結果1浪を経て、東京の多摩美術大学という私立の美大に合格します。
自分に合わない環境で悩んでいる人がいたら…
manaty
でも、自分に合った環境を諦めずに探して、そういう場所に自分を置いてあげることはとても大切だと知ったので、手を抜かずに色々な場所に身を置くことをオススメしたいです。
高校時代、本当に「この3年間私はなんのために生きているんだ…」と毎日悩んでいたけれど、絵を描くという楽しさを知り、勉強はそこそこに逃げつつ卒業できました。
今思うと、お金などの制約がなければ、美術科のある高校に転校しても良かったくらいだと思う。
人は能力も性格も人それぞれだし、自分が努力して入った環境だからといって、自分に合っているとは限らないから、変えられるならどんどん変えたら良いと思います。
環境を変えることができない人も、あまり自分を責めないでいいと思う。
できないことはできないかもしれないけど、くよくよせず、(しちゃうのも、わかるが)他にもできることがいっぱいあることに目を向けたほうが、楽しく過ごせるし何よりラクに生きられるから。
こんな感じで、美術予備校に通って絵の道を目指し始めました。
美術予備校は厳しくて辛かった反面、普通の学校を楽しめなかった自分にとってはワクワク、成長できる大事な場所でした!
それでは、次の記事へ続きます。
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わたしも実技の勉強始めたのは高2からでした笑
つづき楽しみにしてます!
tamuさん
そうだったんですね!
tamuさんがなんで美大に行ったのかも
すっごい気になります!!笑
今度こっそり教えてくださいw