manaty
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現役美大受験は大失敗。どこも受からなかった
高校生活では、地元に通える美術予備校がなかったので、夏休みや春休みの間だけ、名古屋でホテル暮らしをしながら、予備校通い。
学校がある時期は、地元で週1回絵画教室に通う日々を過ごすことに。
私なりに、デッサンに時間を割いたものの、一向に上達しませんでした。
しかし私自身はそんなことお構いなし。
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そんなこんなで受験を迎え、京都の私立美術大学、東京の私立美術大学2校、金沢の市立美術大学の計4校を受験しましたが、
見事にすべての美術大学に落ちましたw正直手応えも一切なかったです。
自分自身の上達を自覚できていなかったのですが、どうしても東京の私立の美大に行きたいという気持ちが勝って、滑り止めを一切受けませんでしたw
4年間いやいやその大学に通うことを妄想すると、我慢ならなかったんです。
今思うと、妥協と計画性がない、若さゆえの考えから、こっそり本命校だけ受験した私。
そしてすべて不合格と判明した夜、両親と私は進路について闇の話し合い開催となります…!
manaty
必殺泣き落とし発動でなんとか浪人期間へ突入
どうしても、東京の私立美大に行きたかった私は
「浪人して私立の美大を目指したいのゴニョゴニョ…」
と両親に伝えます。
すると人生で一度も私(娘)に怒ったことのないマジクソ温厚な父が
「ダメに決まってるやろ!」
と声を荒げたので、私は「ビクッ!!!」となりました。
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しかし、滑り止めを受けていない。これから受けれる大学も、ない…。
manaty
その後、3時間ほどのロング家族会議に入りました。私の人生で一番長い親との話し合いです。
私も親も一歩もひきません。
いつもは最終的に折れてくれる両親が、厳しく反対する姿勢を見て、これは…もうどうにもならないのかもしれない。と悟った私は、
manaty
と完全な捨て台詞を吐いて泣きわめいてふて寝しました。
ふて寝のふりはしたものの、自分の将来が不安で、朝までふとんの中で泣いたのを覚えていますw
翌朝は両親とろくに会話もせず、高校に行きました。
普通科しかない高校では、美大に行く同級生もおらず誰にも相談できなかったので、悲劇のヒロインモードに突入し、授業中も溢れる涙と格闘していました。(弱いw)
珍しくげっそりして午後に入った頃に、母からメールが。
「お父さんもお母さんもわかったから。」(メール文面)
manaty
泣き落とし成功!美大浪人の許可がでる!♡₍₍ ◝(・ω・)◟ ⁾⁾♡
と、今となっては、親も笑い話としてご近所さんに話していますが、よく許してくれたなあという感謝しかありません。
なぜなら一人暮らしをしながら浪人をし、それから美大に通うとなると、ものすごくお金がかかるからです。
公務員の父、美容師の母にとっては、人生設計を狂わせる出来事だったと反省しています…。
でも、当時のわがままな自分グッジョブ!という思いも。(あの頃よりお金の大切さを知った今だったら、絶対にできなかった。)
普通の家庭で育った、美大に行きたい方は、計画的かつある程度わがままに美大進学するための(主に金銭的にどうやりくりするか)戦略を考えて置く必要があると思います。
manaty
滑り止めも受けず、イチかバチかの勝負をするのは自分の人生が危なすぎて、今では誰にもオススメできない。でもこういう方法もあります。
環境の善し悪し以上に自分の努力と覚悟次第だと(今は)思う
今、冷静に思うのは、合格倍率の高い美大に行っても、ハイパーメディアクリエイターになれるわけではないということです。
私も残念ながらハイパーメディアクリエイターとして活動できてはいません。
自分のやってみたいこと、そして自分が思う存分やれる環境を、冷静にリストアップしてみれば、東京の美大でなくても良かったし、後悔しない別の選択肢があったと思い純粋に、視野が狭かったな。とい反省はあります。
しかし、浪人してちゃんと志望校に受かったことは、自分の成功体験になりました。
無謀なことをしたな…という思いはありますが、美大に行ったからこそ、デザイナーとして働く今の自分もいて、当時出会った美意識の高い友人もいて、本当に良い体験ができたと思っています。
manaty
【総まとめ】無事、浪人生となり、もう1年絵の勉強ができるようになりました
ということで、私が美大に行けた理由は、完全無計画からの泣き落とし無限発動と、暖かい親心によるものでした。
美大に行きたいけど、金銭的に余裕のないという方は、各学校の学費を調べたり、奨学金を検討するなど、絵の勉強とは別に、お金や親の同意をどう得るか。を戦略的に考えておくことをオススメします。
さて、次は浪人中の出来事についてまとめてみたいと思います。
また気が向いたらぜひ読んでくださいね〜!
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